三宅島郷友会会長 高松 宏惟
私は、昭和三十八年四月に上京したため三宅島には十八年しか在住していないので、ふるさとに思いを寄せることが出来ていないかもしれない。

小学校の同級会を長年続けているが。思い出を紡いでいたのだと思う。夏休みは一日海に浸かって、キュウリやトマトを海辺に冷やし、貝や魚を採りお昼ご飯代わりにしたり、校庭で暗くなるま でかくれんぼや縄跳びをして遊んでいた良い思い出がいっぱいある。安全で平和で特に伊ヶ谷は静 かな地区だったと思う。次に噴火が想い出と言えなくもない。二十世紀以降昭和十五年、昭和三十七年、昭和五十八年、平成十二年と四回の噴火が発生している。私は昭和 三十七年の噴火しか体験 していないが当時は高校 生だった。実家で電話交換台の前に座って噴火が進行するなか、刻々と入 電する電話交換に応えていた思い出がある。
三宅島が四回の噴火を乗り越えて行けたのも皆様の応援と支援に併せて全島民の不屈の精神である。何か三宅島につながる物がないかと本棚を探していたら『伊ヶ谷会創立五十周年記念誌《潮騒》」を探し当てた。今までの足跡を振り返り次へのステップの足掛かりにしたいという趣旨で、歴史を記録した冊子だが、その中に無形文化財に当たるような「火伏の獅子舞」という興味深い郷土芸能が掲載されていた。貴重な資料である。
〇火伏の獅子舞
配流された人々が生活の糧を得るために始めた門付けの芸である。伊ヶ谷地区では、この獅子舞を地域の稲荷神社に奉納して火伏の祈願を恒例の行事としたところから、これを火伏の獅子と呼ぶようになった。ある時期この獅子舞に「ケチ」がついた。それは罪を犯して送られてきた人々が始めた獅子舞を神前に奉納するのは好ましくないということで、中止としたところ、火事が多く恐怖からまた獅子舞を復活させたといわれていた。
獅子舞の内容は、五つの段階に分かれている。
一、神楽
獅子舞が自ら御幣を振ってあたりを清める。
一、打ち込み
四肢は鳴り響く太鼓に連れて踊り出す。
一、かまくら
あたりを見極め静かに座って身づくろいをして眠る。
一、うた
二上がりの歌声につれて「おかめとどろけ」出てきて楽しく踊る。(これは獅子の夢である)
一、打ち込み
獅子は眠りから覚めて再び踊り狂う。
「三宅島史」(三宅島史編纂委員会編集)より
おわりに 記憶は消える。記録は残る。と言うが、噴火の記憶はいつまでも消えることはないと思う。今を三宅島で元気に暮らしている小・中・ 高の皆さんが元気にふるさと三宅島を紡いでいって頂きたいと念願している。
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