新島の文化と歴史

東京諸島の文化と歴史発掘

利島郷友会 梅田 勉
郷友連合会だより18号(2023年)より

伊豆諸島にも幕末の歴史がありました

真実が歴史の中から消えていくことを憂慮し、文献と言い伝えを基に書き残した新島出身の作家 小山啓子さんが意欲的に挑んだ歴史小説をご紹介します。

江戸幕府の直轄地(天領)だった新島は長い間、遠流の地に定められていた。寛文八年(一六六九 年)から明治四年(一八七一年)まで二百年の間、新島への流刑者は千三百三十三名におよび、その名前が記された流人覚えが今なお新島に残されている。

明治三年(一八七〇年)十一月、流人船で送られてきた十九人の一人が戊辰戦争で敗れ、終身流罪 となった新選組最後の隊長である。流刑者の事情はわからなくても、新島の人々は人間として差別することはなかったと伝えられる。島の娘は、江戸に出ることはなく、島で生まれ島で結婚し一生を送る。相馬主計は島の子供たちに手習いを教えながら渡世を送っていた。やがて家主の娘「まつ」は相馬に心をひかれる。流人には島の掟があり結婚は許されていないが、「まつ」は島の縁談を断り、やがて所帯をもつことになる。明治五年十月相馬に赦免の便りが届く。相馬は「まつ」を妻として東京に連れていく。しかし東京に出て間もなく相馬は「まつ」一人を残して自害する。

二人を待ち受けていたものは「何だったのか。その影に榎本武揚の姿が見え隠れしている。同じ函館戦争で官軍と戦い、榎本武揚の配下であった相馬がなぜ榎本より重い遠島の罪となったのか。
「まつ」は数年後新島の実家に戻ってひっそりと亡くなった。幕末を駆け抜けた二人の生き方は心打つものがあります。

「赦免船」小山啓子
平成十七年発行、他に「夕映えのシドニーラブ」「まほろばの御沙汰」等

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