ふるさとを思う“久遠の契り”

東京諸島の文化と歴史発掘

利島会 梅田勉

みな様明けましておめでとうございます。利島を離れて半世紀以上が経ちました。昭和三十年代の島の暮らしは大家族で自給自足に近く、みんな分け隔てなく、足らざるものを分け合いながら生活していました。暮らしは貧しくても、親兄弟みんなが心を寄せ合う生活は心豊かなものでした。どの家でも大家族を支え親は大変だったことでしょう。

卒業と同時に多くの子供が親元を離れました。親も子供と離れる辛さを幾度となくこらえ、ひたすら子供たちの幸せを願い、沖に遠ざかる本船が見えなくなるまで手を振り見送ったのでした。

利島出身者に「ウグイス通信」が届きます。教育長さんからの手作りの手紙です。日々の忙しさにまぎれ、忘れかけているふるさとを思い出させてくれます。イラスト入りで心のこもった手紙を隅々まで読みます。

現在の島の様子、半世紀以上前の島の様子等。最近の通信に「久遠の契り」と題する一文があり感銘しました。昭和三十年代の校長先生が作詞さ れた珠玉の詩文、幼い頃の利島の光景を思い出し涙しました。

・艀(はしけ)は波間に没し
早瀬に西風とあって本船が見えなくなってもまだ岸にたどり着けない
船頭は荒々しく怒号する
海は泳げば恐ろしくはないが言いしれぬ悔しさに目頭が熱くなる
この試練をこえ私たちに久遠の契りが生まれる

・島なればこそ、苦しさに悶え(もだえ)悲しさに涙もした
孤島なればこそ、一つのものを分け合い心から話もした
孤島なればこそこの出会いを愛し真の誓いもした

・島の朝に子等の笑顔あれば椿林の夕に教師は集い四季を忘れて花は咲き鳥は歌い凪ぎし海は大きく乙女のごと
あつくいえれば人の世の優しさに生きる喜びぞしる。
この運命なる道をこえ私たちの久遠の契りが生まれる

あの頃、大型船が着岸する桟橋はなく、荒海の中を決死の艀(はしけ)作業で定期船を迎える船頭の怒号に孤島のたくましさが聞こえてきます。その試練に打ち勝ち、久遠の契りが生まれる。教師と子供たちの間にも温かい交流が生まれていたのです。ふるさとを思う心こそ私たちが大切にしたい宝物です。

島の子供たちに情熱を注いでくださる教育長さんに「ありがとう」と、感謝の言葉をお贈りします。
(ウグイス通信を随時引用した)

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