三宅島郷友会会長 櫻田 喜夫
生島新五郎(一六七一~一七四三年)江戸時代中期の歌舞伎役者。
江戸城大奥のお年寄りであった江島と共に江島生島事件の中心人物である。当時を代表する人気歌舞伎者である。

一七一四年大奥お年寄りの江島が寺へ参詣した帰途新五郎の舞台を観覧し、その後宴会を開いた事で大奥の門限に遅れ大きな問題となった。
この事から江島との密会が疑られ、捕縛の上石抱の拷問にかけられ「自白」させられた。
三宅島一周道路から大船戸湾の伊ヶ谷港に降りる道沿いに生島新五郎の墓がある。墓石の色は、上が白色で下が黒色と、上下で異なっている。
新五郎は江戸時代中期の歌舞伎役者で一五○○人ほどの人が処刑された風紀粛清事件「江島生島事件」で三宅島に配流された。
権力闘争渦巻く江戸城内で、村山座芝居見物をきっかけに、権力者である大年寄りの江島と情交があったと白状した。
一方、江島はうつつ責めの拷問にかけられたが、頑強に否定している。
この事件は死罪まで出されるほどで、江島は 死罪のところ信濃の高遠藩に幽閉となり、生島新五郎 は三宅島に配流となった。在島、実に二〇数年配流の地伊ヶ谷で生涯を閉じたのである。
遠く信州高遠へながされた江島を偲んでうたった歌の心は哀れである。
なお、三宅村と高遠町(現:伊那市)とは江島と生島新五郎との縁で、一九七〇年(昭和四十五年)に、友好町村盟約を締結している。
「花の江島が唐糸ならばたぐりよせたい膝元へ」遠く信州高遠へ流された江島を偲んでうたったこの歌の心は哀れである。
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