惜別 汗と涙とともに 甲子園の心を求めて

東京諸島の文化と歴史発掘

島嶼郷友連合会 梅田 勉
郷友連合会だより19号(2024年)より

今年もまた夏の甲子園の季節がやってくる。 昨年七月数十年ぶりに東京都予選二回戦に出場する母校を応援するため、江東区民球場を訪れた。焼けつくような太陽の下で、一つのボールを追って死力をつくす選手たちの姿は見るものに何かを感じさせずにはおかない。白球を追っていた自分の姿が蘇ったのでした。

高校野球の指導者たちが今も愛読している一冊の本があります。

恩師でもある佐藤道輔先生が書かれた「甲子園の心を求めて」という本です。この本は練習の日々にこそ本当の汗と涙 があることを教えてくれます。「真の甲子園の心は、汗の中にもがき、泥土の中に泣いた練習のグランドにある」と書かれています。

先生は昭和三十六年四月社会科教師として伊豆大島に赴任された。当時の人口は一万二千人、多くの観光客が訪れ島はにぎわっていたが、島の生徒たちは素朴で善良ではあるものの、気力はあまり感じられず、本土の高校生に対する劣等感があったように思われたようです。頑張れば立派にやれる、本土の高校生にだって負けないように奮い立たせるにはどうしたらよいか、先生はそれを証明するためグランドに立ったのでした。

私は大島高校の三年間、高校に隣接していた八重の水学生寮で二十人程の寮生、そして舎監も兼任していた佐藤道輔先生と寝起きを共にし、グランドが暗くなるまで野球部活動に没頭し、食事をしてからも夜遅くまで寮生たちと語り合いました。振り返ればかけがえのない青春を過ごしたことになる。みんなで小さな力を出し合えば大きな力が生まれる、先生はレギュラーも補欠もなく同じ練習を課し全員野球を貫き、ひたむきに取り組めば必ずできることを説き続けました、そこには勝利至上主義を嫌い、人間育成に力を注いだ真の教育者の姿がありました。

大島、久留米、昭和、東大和、四校の監督を三十二年努め、大島高校を初め、全ての高校をシード校になるほどの実力校に育てた。七十八年、八十五年には東大和高校を率いて二度夏の西東京大会決勝に進出、甲子園出場は果たせなかったが「都立の星」として注目された。退職後は東京都高校野球連盟の理事長なども務められた。

ここに紹介する著書「甲子園の心を求めて」は初版から半世紀を経てなお読み継がれ、監督として活躍する教員は五十人を超えると言われている。

「練習するグランドがオレたちの甲子園」、高校野球の原点に立って若者たちとともに白球と闘い、人生のための野球を教え続け、生徒は野球を通して成長したのです。さらに、折に触れて、「私たちが毎日の練習に励むことができるのは、多くの人々の協力や善意があるからです。両親はもちろん、兄弟、友人、先輩、そうした人々の応援に報いるのは単なる言葉では足りない。態度や行動でなければならないと。

グランドでは闘志に満ちた立派な選手になること教室では明るい意欲に満ちた生徒になること。社会にあっては規律のある若者であること、それが多くの人々の応援に対する私たちの何よりの感謝の表現であることを忘れてはならない」と話しをされた。

先生は平成二十一年七十一歳で亡くなれましたが、「強い意志とやさしい心」をスローガンに野球を通して貫いた先生の指導は、一人一人の教え子の中に今も息づいています。

※「甲子園の心を求めて」を随時引用しました。

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