理事長 河野 秀夫
当連合会にとって、小笠原に行くことは青ヶ島とともに悲願でした。令和七年は会創立六〇周年であり役員会で話し合った時、梅田会長から「小笠原交流ツアーで小笠原諸島に行きましょう。」と提案がありました。私は内心長い船旅なので実施は難しいのではと思いましたが、なんと九名もの参加表明(直前で体調不良により一名減)があ り「小笠原の旅」を実施することができました。ここでその一端を紹介させていただきます。
小笠原旅行(主催小笠原協会)は一〇月三十一日~十一月五日の五泊六日(船中二泊)で、総勢六〇名のツアーでした。
おがさわら丸で出発
十一時に竹芝を出航しこれから二十四時間の長い船旅の始まりです。前日からの温帯低気圧と黒潮海流の影響でうねりが大きくなり(八丈島沖からさらに揺れた)、船内は 手摺りを持たないと危なくあちこち千鳥足状態で船酔いも多く見受けられました。我が八名 (梅田、秋廣、大沼、長戸路、岩田、北井、奥澤、河野)も船酔いの洗礼を受け、スマホやテレビも映らないので、それぞれ個室ベッドで横になったり、ラウンジで過ごしました。
父島に着いた~。
小笠原諸島の弟島、兄島の島影がだんだん大きくなり、青い海と暖かく爽やかな風を感じながら 南国小笠原に到着しました。港ではツアー一行を村の人達が出迎えてく れ、打込商工会長のお迎えで宿泊施設「ホライゾン・ドリーム」に行きました。着いた午後には船酔いも何のその、早速「戦跡ツアー」で日本軍の爪痕が残る砲弾、砲台、沈船、塹壕、武器庫跡等を見学しました。特に岩田さんや北井さん(ともに八丈島)はご両親が父島と母島で生活していたので感慨もひとしおだったようです。改めて父島で戦争遺物を垣間見て平和な時代の有難さを実感しました。

島の皆さんとの交流会
夜六時から協会主催の交流会に参加しました。待合所の会場はツアー参加者、村民や役場関係者等多くの人が集まり交流を楽しみました。テーブルは海亀の煮込み、島寿司等の美味しい島料理やビールなど盛沢山のご馳走でした。渋谷村長も参加した南洋踊りや小笠原太鼓の心を込めた温かい演奏を楽しみました。心地良い余韻のまま、渋谷村長、池田議長等と二次会に行き、船旅の疲れも忘れるほど地元の居酒屋で盛り上がりました。

二日目はフリータイム
この日は、ワールドシリーズ最終戦でテレビ観戦も盛り上がっていたので、終日フリータイムにして、散策やショッピングを楽しんでもらいました。私のミッションは旅 先で走ることなので、海洋センター→コペペ海岸砲台壕跡→境浦海岸の沈没船(泳いだ)→旭山山頂まで足を使い汗をかいて父島の自然遺産を巡ってきました。

豪華なディナーに感激
打込会長のご厚意で、夕食は扇浦のホテルホライズンで豪華な和洋折衷のディナーを両日堪能しました。海亀の刺身と煮込みの前菜から始まり、刺身や天ぷら、肉料理を 皆でビールやウイスキーを飲みながら過ごした時間は至福の時間でした。

「島ポ」申請で悪戦苦闘
豪華な夕食会は最高でしたが、高価な食事だったので予算がオーバーしそうでした。そこで全員が携帯で「島ポ」申請に挑戦しました。島ポは東京島嶼で使えるお得な電 子旅行券で、八万円分の購入で一人二万四千円の割引助成が受けられます。でも我々には携帯操作と申請手続きが複雑で想像以上に手間取り酔いも覚めてしまいました。 結局翌日までに五名分の助成ができるようになりました。まさかこんなに苦労をするとは思いませんでしたが、今となっては頭の体操になりほろ苦い思い出となりました。
母島も訪問しました
総会に出席してくれた宮澤寛さん(母島在住) とご縁がつながり、五〇km離れた母島にも行ってきました。三日の朝七時三〇分に出航したははじま丸で約二時間の船旅で す。港では宮澤さんの次女親子が出迎えてくれました。母島は父島と比べて規模や人口も小さいのでさらに人間関係が濃密な気がしました。ロース記念館を見学後、宮澤さんの友人と昼食会を開いて母島の魅力を人柄を実感することができました。二時出航の帰りの船では、カツオドリの群れが見送りするように間近まで飛来してきて我々を楽しませてくれました。

母島の乳房山を走破
母島では「しま山一〇○選」の十五座である乳房山(463m)にどうしても登りたくて走ってきました。途中の尾根は険しく難儀しましたが、頂上から見た母島の集落や姉島、妹島や姪島は見応えのある絶景でした。

驚愕の大神山神社例大祭
ツアーの日程は、毎年大神山神社例大祭にあわせて組まれており、奉納相撲(子供、女性、成人別)、神輿巡行、カラオケ大会が行われます。
私は相撲大会を見たのですが、百三十六段の急階段を上っていくと村民が全員集まっているかと思うほどの賑やかさと盛り上がりです。夜店や相撲中継のパブリックビューイングまであり、取組も真剣そのもので声援も半端でなく、年に一度の村をあげたお祭りを目の当たりにしました。

ビジターセンター見学
セーボレー家子孫セーボレー孝さんと初対面した翌日、ビジターセンターを案内しますと言って頂いたので、小笠原の歴史や自然について約一時間説明を受けました。返還前のアメリカ時代と返還後の日本の生活を多感な少年時代に経験している説明は想像を超えるリアルさがあり、記憶に残る見学となりました。
帰りの船も感動と感謝
小笠原の人との出会いと歴史や自然の体験は期待以上に素晴らしいものでした。島での四日間はあっという間に過ぎて、思い出とお土産をバッグに詰めて午後三時の出航 時間となりました。
二見港桟橋は渋谷村長や打込さんはじめ多くの人達が見送りに集まっています。小笠原太鼓や「行ってらっしゃい」の声援で桟橋は賑やかです。極めつけはフレジャーボートが何艘も連なって並走し、乗っている男性も女性も一斉に真っ青な海にダイビン グ、小笠原ならではの感動の見送りです。 我々も感謝を込めて思いっきり手を振り続けました。

小笠原協会ありがとう
帰りの船旅もこの時期特有の強風と雨模様で結構うねりがありました。でも翌日遠くに青ヶ島や八丈島の島々が見えてくると東京に近づいている実感が湧いてきました。 クジラやイルカは見えませんでしたが、伊豆七島の島影はいつもの高速船では味わえない感慨深さと愛おしさを感じました。また、改めて、大島 (百二十km)、八丈島 (二百八十七)と比べて、小笠原は千km二十四時間長いけれども、また行きたくなる独特の人柄と島の歴史と自然のすばらしさを実感できた船旅でした。
こうして我々の小笠原の島旅は、誰も病気や転倒等のケガもなく全員元気に帰ってきました。
なお、今回の旅行では、小笠原協会の皆さんが申込みや乗船手続きまで懇切丁寧に教えてくださり大変助かりました。また交流会でも親しく懇談させていただき楽しい時間を共有できました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

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